切絵 広重・国芳・豊国_東海道五十三對 48_廣重_坂の下 すゝか山鈴鹿の神社の由来       

昔 天智天皇の皇弟皇子 大友の乱をさけ 此すゞか山にわけ入給ふに 柴の庵に壹人の翁あり 皇弟こゝに宿し給ふ
翁つくづくと見奉り 君ハ王位龍顔顕れまします われにひとりの姫あり 君に相ならふて相貴(たつと)しとて
皇弟に奉る 則最愛あつて 我ハ浄見原親王也とて しばらく此家に忍ひ給ふ 翁 誠心を尽し
位奉り後 大友を亡(ほろぼ)し 位に即(つき)給ふ 天武天皇是也 鈴鹿の社ハ 此翁を祭ると云 浄見原親王 翁