切絵 広重・国芳・豊国_東海道五十三對 35_國芳_御油 山本勘助草盧       

宝飯(ほい)郡小坂井の東牛久保村ニ有り 初此郷に住で 躬(ミづから)隴畝(ろうほ)に耕し
ある時ハ 別國に漂流して 専ら軍學を鍛ふ 又天文地理を暁(さと)し 韜畧(とうりゃく)を諳(そらん)じ
胸中に八陣を蓄(たくはへ) 此牛久保村を蟄(ちつ)す 其頃 甲州の太守武田大膳大夫春信 駕を枉(まげ)て
これを顧る事三度に及び 人を屏して籌(はかりごと)を精好する事日々に密なり 日數(ひかず)僅(はつか)
に十五日の間に信州に於て九城を陥す 是皆軍師の計策に據(よる)也 或人(ミなひと)云 和朝の臥龍 明の劉基にも比せんや
其頃名高き竹中 穴山 佐奈田など 此山本勘助が門子とぞ聞(きこ)えし 山本勘助 勘助母 武田